2012年4月27日金曜日

正直な話・・・・・・

ショックを受けました、羽生選手のコーチ変更のニュースを目にした時には。

よりにもよってオーサーかよ!?
いくらなんでも、オーサーはないでしょう!!??

こんな感じでした。
口から出たのは、「うっわぁ~~」って溜息まじりな感嘆詞でしたが・・・・・・

私の好悪の情は、この場合関係ありませんものね。黙って見守るしかありません。
そもそもオーサーコーチに悪感情を抱いたのも、金さん絡みの一連の騒動からです。どうしてもいいコーチとは思えないけれど、彼ももとは選手なのですし、原点に戻って真剣に、選手の成長の為の指導をして欲しいと願います。

コーチって、技術を指導したり、表現指導したり、プログラムを通じて戦略を練ったり、選手にとって大きな存在だと思います。
演技の中で、どう評価に繋がるアピールをするかはコーチにかかっているのでしょう。その本来のコーチの役目をしっかり果たしていただきたいです。

そして私達は、どの国の選手であるとか、どのコーチについているとか、どんなスポンサーを抱えているとか、そんなこととは関係なく、その場で行われた演技だけを公平に評価される事を願って、活動を続けてまいります。

採点に透明さが生まれて、説明のつく結果を導き出すようになれば、コーチも選手も競技のことだけに心を配ればよいことになると思うのです。結局はそれのみが歪みを正す唯一の道なのだと、改めて実感しました。
これ以上、競技を観ながら背後の思惑を感じたり、各国間の順位の分配を感じたりはしたくありません。それは皆さまも同じだと思います。
ご協力をお願いいたします。

2012年4月23日月曜日

選手は得をしない!

PCSが高いとか、低いとか、数字を見ればいろいろと言う方はいるでしょう。
ジャンプ認定が甘いとか、辛いとか、そう感じる時も、もちろんあります。
人が行っている以上、多少の幅は生じるでしょう。
好悪があるのも仕方ないかもしれません。

しかし、ジャッジとしての矜持があるならば、明確に説明が出来るはずですし、疑問を持った者を説得できるはずです。そのための努力を怠ってはなりますまい。
恣意的に運用できる基準であるからこそ、微塵も疑いを抱かれぬ判定を行うべきなのです。

優れた技に高い評価を。
秀でた表現力に高い評価を。
魅力的な個性に高い評価を。

裏も表も必要ないのです。
不都合も好都合も、入り込む余地はありません。

ただその一瞬の演技そのものを、全ての選手に平等な曇りない眼で、邪な思いのない心で、豊かに蓄えられた知識と経験で、採点してほしいと願うことは、無理ではないはずです。

選手たちが不相応に低い得点、または不相応に高い得点を得て困惑する表情を見せるのは、見ているだけで心が痛みます。
疑惑を持たれるような結果を得ても、彼らは得などしません。それどころか、彼らが自身の精進によって成し遂げた演技そのものまで汚してしまうのです。
彼らの才能と努力、支える人々の献身を、踏みにじらないでいただきたいのです。
これが、私が今回の署名運動に参加した理由です。

フィギュアスケートはスポーツです。そして芸術性まで備える優れた表現です。
この素晴らしい競技を、台無しにする現状を打開する為の力を、どうぞお貸し下さい。

2012年4月22日日曜日

当たり前の世界がいいな・・・・・・

当たり前の事が、
当たり前に行われる世界がいいな。

良いことは良い、
悪いことは悪い、
そう言える世界がいいな。

ずるいことや悪いことをしたら
肩身が狭くなる世界がいいな。

正論が正論である世界がいいな。



当たり前って、こんなに虚しいことだったのかしらと思うことが多いです。
少しずつ何かがずれて、狂ってきてはいないでしょうか。
国別対抗戦でも、小塚選手にミスが多く出ているが、他の選手は頑張っています、なんて平気で言う、「はぁん!?何言ってるんじゃあ」と思わず声が出るような実況は聞きたくなかったのに。言葉使うプロなんじゃないの、彼らは。プロとしてその場に相応しい言葉を選んで口にしないと恥ずかしい・・・・・・はず・・・・・・だよね・・・
違うの?

言葉を使うプロとして、聞くに値する話を伝えてほしい・・・・・・


なにより、頑張ってる人が報われる世界がいいな。





※携帯用署名ページ
http://www.shomei.tv/mobile/project.php?pid=1922

*携帯の場合は入力欄は名前のみでコメントは入力できません
*_署名結果のウェブページに名前を表示したくない場合は、名前入力の際に「匿名にする」にチェックを入れるのを忘れずに!

署名の手順が、パソコンからの場合と少し違います。
(1)「今すぐ署名」ボタンをクリック
(2) 下記を入力します
・名前(実名)
・「匿名にする」にチェックを入れます(忘れずに!)
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2012年4月20日金曜日

一万という数

今回の署名。
ご存知のように、一万名という高い数字を目標に掲げております。
簡単に集まる数字ではないことは承知しておりますが、集まれば大きな力を発揮する数です。
皆さまのご協力で、日々じわじわと増え続けています。このうねりを大きく大きく育てたいと願っております。

一万の何かが集まれば・・・・・・
「1」と「10000」
比べてみるまでも無く、「1」よりも「10000」の方が遥かに多い数です。
数学的に見れば、「1が一万集まったもの」と「10000」は等しい、ということですよね。でも、集まり方によっては、特化した目的に向けて集まれば、一万倍以上の力を発揮するのではないかと思っています。

触れれば切れる「蜘蛛の糸」でも、一万本集めてより合わせればバイオリンを弾く弦になる、というニュースを見ました。
弾けるだけではなく、ナイロン製の弦よりも音がいいとか。

クモの糸1万本でバイオリンの弦、深みがある音

読売新聞 4月20日(金)16時7分配信
クモの糸1万本でバイオリンの弦、深みがある音
拡大写真
クモの糸の弦を張ったバイオリンを弾く大崎教授=菊政哲也撮影
クモの糸を研究している奈良県立医大の大崎茂芳特任教授(65)(生体高分子学)が、クモの糸を束ねたバイオリンの弦は、広く使われるナイロン製の弦より強く、音質も優れているとの調査結果を、米物理学会誌「フィジカル・レビュー・レターズ」の最新号(13日発行)で発表した。

既に各国の演奏家らから、問い合わせが寄せられているという。

大崎教授は約35年間、クモの糸を研究しており、2年前に約1万本ずつより合わせた太さ0・75~1ミリの弦を作ることに成功した。

電子顕微鏡による調査では、より合わせることでクモの糸の断面は円形から多角形に変形することが判明。これによって円形のナイロンの弦に比べて強度は4割、弾性が3割増していた。

音の周波数の解析では、高音域でナイロン弦の倍以上、強い音が出ることがわかった。プロ奏者にナイロンの弦のバイオリンと弾き比べてもらったところ、クモの糸の方が輪郭のしっかりした音で、柔らかく深みがあるとの評価を得た。
最終更新:4月20日(金)16時7分


「輪郭がしっかりした」
「柔らかく深みがある」

素晴らしい成果ですね。
私達の声も、しっかりとした強い意思を表明するものとして、届けようではありませんか。


2012年4月19日木曜日

自己主張か、わがままか・・・・・・

(あくまで私の認識ですよ、と前置きしておきます)

日本での交渉事というのは、
・相手の立場も思いやって、
・遠慮気味に、
・あからさまではない持っていき方をする。

こんな感じが多いし、その方が角が立たずに円滑に進むものです。

対して、外国に(ちょっと乱暴に括ってみます、もちろん違う国もたくさんあります)多いのは、
・自分の利益だけを、
・声高に、または威圧的に、
・要求が通るまで繰り返し繰り返し、エスカレートしながら。

そんな印象です。

いくらなんでもそれは無いだろうという線から話を始めて、相手の出方によって譲歩したような形を作って終わる外国流。
まるで、剣や斧を振り回して、何度か刃を合わせ火花を散らせた後で鞘に収めるような・・・・・・

日本は刀を腰に差してはいても、抜かずに間合いを取って相手の力を見極め、それだけで勝負がつくこともある。
名乗りを上げ、正面から一対一で向き合う事を求めるような、いきなり斬りかからず、じわじわと間合いを詰めながらにじり寄るような・・・・・・

これって、今に通じる決定的な違いがありませんか。
交渉事の最初のラインの引き方。
妥協ラインを大きく踏み越えたところから話を始めるやり方と、
妥協ラインの手前から話を詰めていこうとするやり方。

そりゃ前提条件がこれだけずれてりゃ、勝負になんかなりませんわ。
外国に出て相手のルールの中で交渉するなら、奴らのやり方で踏み込まなくちゃ。
奴らがこちらの国の中で何かをしようとした時には、グローバルスタンダードだなんて妙に物分りよくなってやらずに、白い目でじろじろ見て恥知らず扱いしてやりゃいいんです。
他国に他国の歴史文化があるように、日本にも日本の歴史文化があるんです。それも、突出して長い歴史文化のはずです。
使い分けるものは使い分けて、むやみに踏み込ませない姿勢も示さないと、いいように使われるだけですもの。

日本人はおとなしい、これはある意味で正しいでしょうね。
ただし、表向きだけのことですよね。裏、と言うと印象よくないけど、私的な場面ではみなさん言いたい放題言ってるでしょう。
その言いたいこと、少し表で言うようにする場面もつくりませんか、と思うのです。良識のある大人同士では言う必要もなかったことですが、子供にはいちいち言い聞かせて育てていますよね、みなさん。
だって言わなきゃわからないんですから。
いちいち口に出して言うのは、場も悪くするし疲れますけど、仕方ありませんよ。何しろ相手が我々の常識からは大きく外れた振舞いをするんですから。放って置いて止める気配なんてありませんし。

わがままだ、勝手だ、恥ずかしい振舞いだ、と我々が思わず怯む言葉を使わせるようになってしまったのも、それで我々が引っ込んできた事実があるからに過ぎません。中身の無い脅しは無駄だと学習し直させましょう。

日本人一人一人が、自分の心に問うて、良かれと信じた道を歩み続けることが一番大切ではないかと、そう思います。
正念場です。


フィギュアが無かったら、浅田真央さんがいなかったら、こんなこと考えることもなかったかもしれません。
・・・・・・というわけで、FPUの署名にもご協力下さいませね。


2012年4月15日日曜日

始まりは「フィギュアスケート」でも・・・・・・

「頭がお花畑」という、ネットではよく見かける言葉があります。褒め言葉ではありませんよね。
私の世代以上の方が、主に指されていると思いますが、無理からぬ事と理解もしています。

高度成長期に生まれ育って、悲惨な時代は知らない。
私達にとって、日本は昇る国であり、古きよき時代を経た成熟した国でもあると信じていました。

戦争体験のある世代は、物が無かった話はしても、それ以上の具体的な話は避けていたようでしたし、私も聞いていて楽しい話ではありませんでしたので、それ以上には触れませんでした。
学校で教わるのは、平安時代から明治時代までが主で、昭和に入ってからの話は駆け足で通り過ぎるだけ。いわゆる「自虐的な歴史」に触れる先生もいれば、何も語らぬ先生もいる、それが普通でした。今思えば、声高に語る話に真実があったとも思いませんし、多くを語らぬ先生は、必要以上に冷静に公平に語ろうと努めていたように感じますが、小学生にそれはわからぬことでした。
心に残ったのは、「日本は何かひどいことをしたんだろうな」、「このことはおじいさんおばあさんには聞いてはいけないみたいだな」というような、妙な後ろめたさを伴うものでした。

何より、あの頃にはそれを確かめる術がなかった・・・・・・
語る場も無かった・・・・・・
聞く機会も無かった・・・・・・

知る機会が無かったのです。

そんな私が、初めてマスコミがおかしいと感じたのが、消費税導入の選挙の頃。
確信したのが民主党に政権交代が起こった時でした。

それでも、日常で不満を漏らしながらも我慢するしかないと思っていました。
何をやっても変わるわけが無いと。

しかし、バンクーバー五輪シーズンのフィギュアスケートを観て、一人で戦う真央さんを見て、苛め抜かれる真央さんを見て、何か出来ないかと強く思うようになったのです。
良い話も悪い話も読み漁りました。ネット動画も探し回りました。
それを繰り返して、一つの思いに至ったのです。

やはり何か作為があると。

納得できないことには納得できないと発言しよう、出来ることから始めよう、そう思いました。

否やを唱えぬことで、その場は丸く収まるかもしれませんが、その後は益々状態が悪化することをみんな知っているはずです。
それなのになかなか言えない「人の良さ」は、同じ様な者同士で付き合うには好ましいのですが、付け込もうとする者が混ざる場では危険な要素になるでしょう。
後の諍いを避ける為にも、その時に「否」を言わなくては。

始まりは「フィギュアスケート」でも、これはもう「社会的な問題」「政治的な問題」にまで広がってしまっているし、これをきっかけに「物言う民」にならなくては、と思っています。

私の第一歩の活動に賛同下さる方をお待ちしております。

2012年4月12日木曜日

聞け・悟れ・・・と育った世代

若い方には通じないかもしれませんね。「聞けよ悟れよ」という暗黙の了解。

日本人は昔から、あからさまな事を避ける傾向があります。

例えば、見ただけでわかることを、殊更に強調する事。
例えば、相手が嫌がっていることに気が付かない、あるいは気が付かない風を装って強行する事。
例えば、立場を利用して押し付ける、恩を売りつける事。等々・・・・・・

わざわざ言葉にするのも憚られていたことを、敢えて言わねばならぬとはと、苦痛の多いことです。
しかし、見てわからぬ者、悟らぬ者ならいざ知らず、故意に為す者にさえ苦言を呈しなかったことは誤りでした。
いずれ気付くであろうと見守っても、あからさまに非難しては恥をかくであろうと思いやっても、無駄である相手は存在するのだなと、つくづく感じます。悲しいことですが・・・・・・

私達が募っている「署名」は、一見「フィギュアスケートのルール見直し」という狭い範囲のことですが、私にとっては、決してそれだけのことではありません。

「まぁ、世の中そねぇに悪人ばぁでもなかろ~」(まぁ、世の中そんなに悪人ばかりでもないだろう)
「そねぇにあくでぇことぉ、えれぇひとがするわきゃあねぇが」(そんなにあくどいことを、偉い人がするわけがないよ)
「テレビや新聞でも、そがぁなこたぁちぃともゆ~とらんが」(テレビや新聞でも、そんなことは少しも言っていないよ)

そんな風に暢気に信じるオバちゃんだった私です。
その私が、何故こんな評価が為されるのだろうと疑問を感じて、ネットであれこれ検索した後に悟った中の一つが、フィギュアスケートの採点に関する「ゆがみ」でした。
不正が発覚して、それを防止するためにせっかく改正したルールなのだから、選手の豊かな才能と真摯な努力に、充分に答えるものであって欲しいと、切に望みます。

不正を糾弾する為でも、誰かを吊るし上げる為でもなく、(誤解されている方もいらっしゃるようです・・・)
選手達の研鑽を促すルールを!
明快に説明できる公平なルールを!
そしてその運用に努めていただきたいと嘆願する為の活動です。

自由記入欄を設けたのも、たくさんの思いを伝えたいと考えたからです。
どうぞ皆様の「思い」を添えて、私達に預けてくださいませ。

※携帯用署名ページ
http://www.shomei.tv/mobile/project.php?pid=1922

*携帯の場合は入力欄は名前のみでコメントは入力できません
*_署名結果のウェブページに名前を表示したくない場合は、名前入力の際に「匿名にする」にチェックを入れるのを忘れずに!

署名の手順が、パソコンからの場合と少し違います。
(1)「今すぐ署名」ボタンをクリック
(2) 下記を入力します
 ・名前(実名)
 ・「匿名にする」にチェックを入れます(忘れずに!)
(3)「確認する」ボタンをクリック
(4) 内容を確認して「署名する」ボタンをクリックすると署名完了です。
お願いいたします。







2012年4月10日火曜日

ずっと「似てるなぁ」と思ってる話

どこかで見たような気がする風景や、誰かに似ている気がする人、だけどどこだったか誰だったか思い出せない、そんなことがよくあります。

パトリック・チャン選手にもそんなものを感じていた私ですが、今Jスポーツで世選男子SPを観ていて、やっとイメージが重なりました。

キューピー人形でした。


伸ばしたような伸ばしてないような腕や指先といい、
必要以上に見張ったような目といい、
無駄におどけた表情といい、・・・・・・

それなりに技術はある選手だと思っていますが、惹かれるものが全く無いので、点数以外に印象には残らない演技です。
あくまで「私には」ですよ、もちろん。

彼を見て感じるひっかかりが、一つ取れました。
あぁ、すっきりした。

2012年4月8日日曜日

ちょっと息抜き♪

日曜日は休日・・・・・・ということで、ちょっと息抜きです。
息抜きの合間に、署名のほうもよろしくお願いしますね♪♪


こんな動画を作れる方って、スゴイです!!
上手いなぁ、とただただ感心してしまいます。


追記です。
署名ですが、パソコンの方はこのページの右の欄から、
携帯電話の方は、こちら↓から、
現在と未来の、全ての選手達の為に、お願いいたします。

※携帯用署名ページ
http://www.shomei.tv/mobile/project.php?pid=1922

*携帯の場合は入力欄は名前のみでコメントは入力できません
*_署名結果のウェブページに名前を表示したくない場合は、名前入力の際に「匿名にする」にチェックを入れるのを忘れずに!

署名の手順が、パソコンからの場合と少し違います。
(1)「今すぐ署名」ボタンをクリック
(2) 下記を入力します
・名前(実名)
・「匿名にする」にチェックを入れます(忘れずに!)
(3)「確認する」ボタンをクリック
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2012年4月5日木曜日

完成度とは何かという問題

フィギュアスケートの話にもよく出てくるフレーズですよね。

「完成度が高い」
or「完成度が低い」

どうもミスが無い演技を「完成度が高い」、
ミスがあったら「完成度が低い」、
そう評しているようです。

本当にそうなのでしょうか。

私はどうしてもそうとは思えないのです。
クラシック音楽の演奏にも通じることですが、「生」である限り、そして人間が行う限り、多少のミスはあって当然だと思います。
もちろん、無いに越したことはありませんが、それ以上に大切なものを失ってまで追い求めるものではないと。
ミスを回避したいが為に、努力する方向が変わってしまっては本末転倒です。何を取って何を諦めるかは、その時々の「器」によるでしょう。だから、皆「器」を大きくするために精進するのだと思っています。

精進し続けている者には、時折奇跡のような瞬間が訪れるのではないか、そう思います。フィギュアスケートで言えば、高難度のプログラムをミス無く演じきることでしょうか。その瞬間に狙って出来るものではないと思いますが、その準備が無い者には決して訪れないでしょう。私には真央さんがその瞬間の為に走り続けているように感じられるのです。

「完成度」で言うなら、真央さんの追い求める完成度はノーミスの演技(よく使ってはいる言葉かもしれませんが・・・)ではなく、より濃い、深みのある演技だと感じます。心をど~んと揺す振られる様な・・・・・・。

一度も到達しない人も多いその瞬間を、あと何回見ることが出来るのでしょう。
少しでも長く、一度でも多く、と欲張ってしまう私は、真央さんに心奪われてしまっているだけでなく、全ての美しいものを愛し、気高きものに頭を垂れる凡人です。

2012年4月3日火曜日

署名活動経過報告

おかげさまで、現在1000名を超える方がご協力くださっています。
もどかしさ、怒り、悲しみ、悔しさ、様々な思いが大きな声になろうとしています。
ご協力下さった方々に感謝いたします。

会員による動画も作成されました。
同じ思いを抱きながら躊躇されているのも、私が少し前までそうでしたから、よくわかります。
この署名TVでは、サイトで実名とメールアドレスをご記入いただくことにはなりますが、アドレスは署名という行為を完了させる為の、確認メール送信のためのみに使われます。「表示を匿名にする」にチェックを入れていただければ、サイトでの一覧にも表示されませんし、実名は企画者である我々には一切公開されない、というシステムです。
どうぞご理解の上、ご一考下さればと存じます。






2012年4月2日月曜日

心配だけどそっと見守りたい矛盾

もちろん、真央さんの話です。
リンクに出て来た時から、いつもと違う様子に、観ていた家族全員、口々に、
「何かあった?」
「真央ちゃん、様子がおかしいよね。」
「大丈夫かな。身体の動き方がおかしい感じ。」
「体調崩したのかな。」
と心配を始めてしまいました。

顔色、表情、身体の動き方等、知らず知らずのうちに「真央ちゃん情報」が蓄えられていて、異常を違和感として感じるのかもしれませんね。
最後まで投げずに滑りきった彼女を称えたいと思います。

泣き言や言い訳は、決して口にしない真央さん。
試合後のインタビューで、
「真央さんにとって、この一年はどんな一年でしたか。」
などという、無神経な質問にさらされるのを見ているだけでも、心が痛みます。
私は心配することしか出来ない無力感に、度々襲われて悲しくなりますが、心配してる、どうしたの、とは言いたくありません。
良い時も悪い時も、そっと見守っていたい・・・・・・だけど、とっても心配・・・・・・あぁぁぁぁぁ・・・・・・

もう、親戚のおばちゃんみたいな感じかも、です。
多いんじゃないかしらね、私みたいな人。(勝手な思い込みです、はい)
「冷静と情熱のあいだ」というか、「理性と感情のせめぎあい」というか、ただおろおろしているだけというか・・・・・・

その「おばちゃん」が、出来ることとして見つけたFPUなわけです。
コレなら私でもできるかも、で飛び込んだら、集まった情熱がどんどん育っています。
その第一歩としての署名活動です。
たくさんの情熱を、お待ちしております。

2012年4月1日日曜日

茶番は、もういらない!

結果のわかっている試合を、余計な味付けで見せられる・・・・・・
それだけでも、充分に興ざめですが、その「結果」がここまでだと、茶番劇としか言い様が無いと思います。

「茶番クーバー」と揶揄されたオリンピックシーズンと、何も変わらないとは。
恥ずかしくはないのでしょうか。

「恥」という概念が、他国にもあるのかどうかはわかりません。
しかし、「良心」はあるでしょうに。

「赤毛のアン」の主人公「アン・シャーリー」は、その後の物語の中で、自分の小さな子供の過ちを諭すときに、
「良心に聞いてみましたか」
と尋ねていたと記憶します。
「良心って何?どこにあるの?」
と無邪気に問う幼子に、あなたの心の中にあるのだ、良くないことをしたり考えたりした時に、ちくっとしないか、と話していました。いけないことをしても「ちくっ」と良心が痛まないなら、あなたの良心は鈍っているから、よく磨かなくてはいけない、と読んで、ドキッとしたことを思い出します。

スケート連盟の方々は、審判を努める方々は、良心がちくっと痛まないのでしょうか。
確か、モンゴメリはカナダの作家でしたね。少女時代から愛読していた「赤毛のアンシリーズ」を通して、私がカナダに抱いていたイメージは、悲しくも崩れ去りました。

理不尽な思惑を知りながらも、もっといい演技を!、もっと高度な技を!、と精進する選手達を、孤独に戦わせるわけには行きません。
私達ファンも、共に戦っているのだと知らせたいし、助けになることがあるなら、是非やりたいのです。
刻々と増え続ける署名の数が私達の意志です。
コメント欄に記入して下さっている、たくさんのご意見も、是非ご覧ください。
そして、あなたの声も、ご一緒にお願いいたします。