2012年8月30日木曜日

泥縄式・・・・・・

「泥棒を捕らえてから縄を綯う」

後手後手の悪い印象の言葉ですよね。
最近では、領海侵犯や不法上陸を取り締まろうにも、悪意を持って不法に侵入した者を取り締まる法律が無いので、難民を想定した法律を適用する、といった話を耳にした覚えがあります。法整備が急がれるのはもちろんですが、まるで泥縄だとの意見も見ました。

「泥縄式」、言葉の意味としては、その場しのぎで役に立ちそうにも無い感じを受けますが、本当にそうなのでしょうか。

もちろん、予め綯った縄を準備できているのが理想ですが、縄が無いからと途方にくれるよりは、慌ててであっても縄を綯い始める方が、事態は改善されると思うのです。少なくとも、縄が無いんだから仕方ない、と愚痴をこぼすよりは。

今、私達FPUが取り組んでいる「フィギュアスケートの採点システム改善へ向けての行動を嘆願する署名」をご存知でしょうか。
フィギュアスケートを観ていて感じた、あまりにも偏った採点法とその適用を改善して欲しいと願って始めた活動ですが、所謂泥棒を縛る縄が無かったもどかしさから綯い始めた「縄」なのかもしれません。今後どんなにルールが改善されても、あの時の採点が正されることは無いでしょう。だからと言って「縄」を用意しなければ、今後も同じことが繰り返されるのです。後手であろうが何であろうが、今やるしかないと思います。少なくとも今ならまだ、次の機会には生かされるのではないかと。

バンクーバーからソチへ。
道は半ばを過ぎました。
選手達はたゆまぬ努力を続けています。

私達にできることを、今しませんか。


2012年8月28日火曜日

久々に正論を見た気がする・・・・・・


久々に正論を見た気がして、裏を考えてしまいそうになる自分に苦笑しています。
記事を書いた方の考えが、真っ直ぐに伝わってきます。これが新聞ってもんですよね。新鮮に感じたり驚いたりしてしまう今の状況が異常なんです。
改めて、それを思い出させてくれた東海新報さんに拍手です。
 



「冷静にというが、冷静になってほしいのは韓国の方」 岩手地域新聞の大新聞批判にネットで絶賛の声

J-CASTニュース 8月27日(月)19時42分配信
 竹島問題で日本政府に冷静になるよう呼びかけるメディアはおかしい、冷静になってほしいのは韓国の方だ――。こう異論を唱えた岩手県の地域新聞「東海新報」の主筆コラムに、ネット上で称賛が集まっている。

 東海新報は、岩手新報、河北新報などに在籍した記者によって1958年に創刊された。岩手県大船渡市、陸前高田市、住田町をカバーしており、震災関連も含め、広く地域情報を発信している。

■野田会見「異例」としたメディアも批判

 竹島問題が取り上げられたのは、2代目の鈴木英彦社長が書いている主筆コラム「世迷言」だ。

 2012年8月25日付コラムでは、日本政府が領土問題に関して、なあなあで事を収めようとしてきたことが、「弱腰」と見られてつけ込まれてきたと指摘した。韓国の居丈高な態度も、その延長線上にあるとして、日本も、「度が過ぎれば降りかかる火の粉を払わなければならなくなる」と言う。

 そして、日本の一部メディアが「冷静に冷静に」と日本政府にも呼びかけることに対して、疑問を呈した。つまり、「冷静になってほしいのはお隣さんの方」ということだ。

 コラムでは、一部メディアがどこかは触れていない。しかし、これは、朝日新聞や毎日新聞などを指すようだ。野田佳彦首相の親書を返しに来た韓国大使館職員を外務省が門前払いしたことを「大人げない」「子どもじみた応酬」と批判し、日本政府も頭を冷やすべきだと社説で指摘しているからだ。

 ほかの日のコラムでも、韓国に反論した野田首相の会見を当たり前のこととしてではなく、「異例」だと報道したメディアを批判した。「偏狭なナショナリズム」と言われても、領土問題に関しては、日本帰属の正当性をあくまでも主張すべきだというのだ。

 ネット上では、2ちゃんねるを中心に、このコラムを称賛する声が相次いでいる。

■「賛否があるものは鮮明にするのが信条」

 「なんという正論」「新聞社でマトモなとこもあるんだな」「東海新報さんあなたについて行きます」…

 東海新報社に取材すると、佐々木克孝編集局長は、コラムは社説ではなく主筆の鈴木英彦社長の意見が述べられており、「賛否があるものについては鮮明にするのが信条です」と説明した。竹島問題を取り上げたコラムについては、「同意見」などと賛意を示す意見が多いと明かした。

 コラムでは、尖閣問題についても意見を述べている。巡視船にコンクリート片を投げつけるなどして損傷させただけでも犯罪だとして、中国の活動家らをまた来させないためにも法の裁きにかけるべきだとした。また、閣僚の靖国参拝についても、中国などに媚びるから外交カードにされるとして、参拝した民主閣僚2人を称賛した。論調は保守的ともされるが、確かに、立ち位置を鮮明にしているものが多いようだ。

 創刊時から「御用新聞」はイヤだと独力経営を貫いており、地元の有力企業や公的な団体からの外部資本は入れていないという。共同や時事の配信も受けておらず、地ダネでほとんどを埋めている。ただ、広告が主たる収入源だともいう。

■チリ地震津波で被災した教訓から20年前に高台に社屋を

 震災後は、発行部数が1万7000部余あったのがほぼ半減してしまった。しかし、現在は、震災前の8割に当たる1万4000部にまで回復した。避難場所に無料配布した結果、被災者やボランティアらの目に触れて、新規購読者が増えたからだという。

 なお、震災翌日からも新聞を発行できたのは、創刊直後にチリ地震による津波で被災した教訓から、20年前に高台に社屋を建てたからだそうだ。自家発電装置も3年前に設置し、停電でも輪転機を動かすことができた。震災で社員1人を失ってしまったものの、現在も、震災前と同じ社員40人体制で取材などを続けている。

2012年8月27日月曜日

寄付はアムダに! 署名はFPUに!!

夏恒例行事になっている24時間テレビが終わりましたね。
とは言っても、我が家では全く観ておりませんが。

誰かの役に立つのならと、庶民が小銭を貯めた貯金箱を持ち寄る
→小銭もたくさん集まれば大きな金額になる
→福祉の行き届かないところの役に立てる

これだけなら協力したいと思う企画でしょうけれど、その為に作られる大層な番組に出演する多数のタレントは、ギャラの発生する「お仕事」として参加していると知ってしまうと、同じ寄付をするなら別のところにしたいと思うのは、私だけではないような気がします。

信頼できる寄付先って、どのくらいあるんでしょうね。

我が家では、黒柳徹子さんが大使をなさっているユニセフと、岡山市に本部を置くアムダとに決めております。
貯めた小銭程度しか寄付できないのが悲しいところです。


こんなことを考えたりしだしたのも、フィギュアスケートの採点に疑問を持ってあれこれと調べだしたことからでした。情報を追っているうちに、他の情報に触れる機会も多くなり、考える為の材料も増えていくということですね。見ているつもりで見えていないことの多さに愕然としたものです。

見たくないから目を瞑って無いことにするのか、
そんなことが起こらないようにするための行動を、たとえささやかでも起こすのか、
小さな違いのようですが、先では大きく違ってくるのです。

一人一人が、情報を得て、自分でしっかり考えて、自分の行動に繋げていく。それが今求められているのではないでしょうか。

無力感を嘆くばかりでは何も変わらないのです。小さな一歩でも、行動を始めればきっと何かが変わるはずです。集まれば声は必ず届くのです。
私はそう信じています!

2012年8月26日日曜日

原因と結果について

連日、謝罪の賠償のと、姦しい隣国との関係ですが、その経過を見るにつけ、大きな隔たりを感じずにはいられません。

物事にはそれぞれ原因があり、その結果が生じるものでしょう。完結していない事であったり、新たに加わる「原因」と呼ぶべき事柄があったりすれば、結果や結論もまた、時々に変化していくと思われます。作為的に操作しようとして、たとえ一時は成功したように見えても、時を経て議論されるにつれて真実が明らかになっていく、そういうものだと思っておりますし、そうあるべきだとも思います。

意図を持って操作した結果、思いがけない結果を呼んだとしても、それもまた原因に対する結果に過ぎないはず。都合の良い結果を得たいが為に行動した、その結果なのですから、責任を他に求めることは出来ますまい。

「過去」とは一瞬を切り取ったものではありません。連綿と続く「今」の連続が、一瞬の後には「過去」となる。手を離れた「過去」を評価するのは全ての人々です。評価もまた新たな判断が加わり続け変化するのでしょう。歴史が紡がれてゆくのです。

傍観者で居るわけにはまいりません。

正しいと思うことには、正しいと、
おかしいと思うことには、おかしいと、
発言する一人一人の声が、歴史を作るのだと感じます。





2012年8月24日金曜日

ウィキってみた♪

「皇帝」という言葉をウィキってみました。

説明文をどんどん下方まで読んでいると、「ニックネーム」としての用法が挙げられていました。フィギュアスケートで「皇帝」と言ったら!?と見てみると、プル様の名前もありましたよ~♪



ニックネームとして [編集]
スポーツ界では一流、特に世界最強クラスで圧倒的な実力を持ち君臨する選手に、歴史上当該選手の母国に皇帝がいた場合、尊敬と畏敬の念を込めて「皇帝」との愛称が付く場合もある。

皇帝と呼ばれるスポーツ選手 [編集]

その他 [編集]


「世界最強クラス」で「圧倒的な実力を持ち」、「君臨する」かぁ・・・・・・と思って見ていくと、一つ疑問が。

「シン・スンフン」ってどなたでしょうか?

「バラード系シンガーソングライター」って、他にいくらでもいるんじゃないかと思うのは私だけでしょうか?
う~ん・・・・・・、疑問です。

2012年8月18日土曜日

時代を先取り♪

流行には乗らない主義のちょこ太です・・・・・・

子供の頃から、自分が気に入ったものを、長く大切に使い、興味を持てない流行ものはパス(今で言うところのスルーですね)してきました。
好きなもの嫌いなものを強制されるなんて、真っ平御免ですもの。

そんな私なのに、気が付けば流行の先端(・・・は大げさかな?)に居るではありませんか。

最近の嫌韓ブーム!
オリンピックでの行いに、大統領の竹島への上陸、そして天皇陛下への不遜な発言。怒りを溜め込んでいた日本人の噴火が始まったようで、ネット上でもあちこちで「韓国製品を不買しよう」なんて言葉を見かけます。
不買なんて、わたくしスッカリ慣れちゃって、お断りする時に「嫌だ、韓国製じゃないの!?」と意思表示までするようになっちゃってます。主婦の特権で、家庭内消費分をほぼ把握しておりますので、排除率はかなりのモンですよ。はっはっは。

黙って不買より、宣言して不買の方が、多少なりとも効果が大きいと思います。
その際、韓国製は買いたくないから、と伝える人が増えると、より大きな声になるのではないかと思っています。
現にそう伝えたら、「最近そういう方が多いんです」と答える方も結構いらっしゃいました。

一人一人の力はささやかでも、声は小さくても、決して無駄ではないはずです。

「フィギュアスケート採点システム改善に向けての行動を嘆願する署名」も、じわじわと伸びています。
一歩を踏み出してくださった皆さまの御協力に感謝します。

ためらっていらっしゃる方のお気持ちも、よくわかるつもりです。だって私もそうでしたから。
どうか、「おかしいぞ」「なにか変だぞ」と声を上げてください。フィギュアの採点にも、そして政治や報道にも。
たくさんの「声」が、どうか届きますように!!



2012年8月14日火曜日

オリンピックは閉幕しましたが・・・・・・

こんなに「観ない」オリンピックは初めてでした。
そして、こんなに後味の悪いオリンピックも覚えが無いものでした。

K国と関わると、良いことが無いですね。

いちいち言葉にするのも腹立たしくて、ブログが更新できなくなるなんて、情けないことかもしれません。
避けているばかりでは何も変わりませんから、FPUを通しての活動から始めて、意見発信に努めているのですが、嬉しくない事柄を文章にしようとするのって、私にとってはものすごくエネルギーを消費することのようで、書きかけては力尽きた「下書き」が、虚しく溜まっています。

強請り、たかり、言いがかり・・・・・・
良好な人間関係を築こうとするなら、決してやらないことです。そもそも普通の人なら、しようともしたいとも思わないことでしょう。
常識の違う人たちと、私達の常識を持って接することで、お互いに良い影響を与え合えるのなら、友としても付き合えるかもしれませんけれど、とてもそうは思えません。私達が守りたいと思い、守ろうとするものを、傷つけたい破壊したいと狙う者たちと、どう付き合えと言うのでしょうか。

「良好な人間関係を築こう」
この言葉自体に疑問はありませんが、何を捨ててもと言うわけには行かない以上、そう出来ない相手もいたのだとわかったことをもって、終了する関係も仕方ないのではと考えています。




2012年8月3日金曜日

テレビに向かって文句を言ってしまう時

年配の方がテレビに話しかけたり、返事をしたりしてしまう、そんなのんびりした光景なら微笑ましいかもしれません。
そんなほのぼのシーンならいいのですが、ちょっと違う我が家です。

「おかしいんじゃないの?」
「聞いたこと無いわ」
「出鱈目言ってるんじゃないわよ」等々、
テレビに向かって発する言葉は、誰に届くわけでもありませんね。強いて影響を挙げるとしたら・・・・・・言っている自分自身が、その言葉を聞く事で余計にストレスが溜まることかも。

このままじゃ、良いことなんて何も無い、そう思ったのは初めてではありません。腹立たしいですね。

何かがおかしいんじゃないかと思い始めた私が、テレビの前でブツブツ文句を言うだけじゃなくて何かしなくちゃ、変えなくちゃと参加しているFPUですが、バンクーバー五輪のほとぼりが冷めてしまったのか(私の中では燃え続けているんですけどね)、署名の数も頭打ちになっているように思います。

騒いでも何も変わらないから?
もしあなたが、そう思っていらっしゃるなら、もう一度考えてみて下さい。
フィギュアスケートだけで考えてみても、選手達が文句も言わず我慢を重ね、努力を重ね、それで何かが好転したでしょうか。
譲ることで関係が改善したでしょうか。
今行われているロンドン五輪でも、こいつらは何も言わないからと不利益を生んではいないでしょうか。

沈黙は同意とみなされるだけだと思います。
受け容れ難い事には、はっきりとそう発言して意思を示すべきです。
察して、慮って、丸く収めようとなど、日本人同士でも見られなくなっているのですもの、期待すべきではありません。もし、そんな場面に巡り合えたら、その幸運を喜べばいいのですから、当てにするものではないのでしょう。

オリンピックであっても、他の国際大会であっても、全ての国や選手の利害が一致することなど無いのですから、明確なルールを定め、しっかりとそれに則って運営し、必要に応じてそのルールは修正すること、その繰り返しを誠実に続けることが理想です。しかし、現在それが為されているとは、とても思うことが出来ません。この不幸を嘆くのであれば、改善を求めて声を上げ続けることが必要なのだと、それこそが大衆に求められる役割なのだと、フェンシングを観てもボクシングを観ても思わずにはいられませんでした。

声を上げましょう。
諦めてはいけません!